nonsense

今日はRLの話を。 
最初に言っておきますが、どうでもいい話ですw

SLの私は「変な人」ということになっていると思いますが、
RLの私も「変な人」ですw
そして私の周りの友人、知人にも「変な人」が多いです。

先日、RLの友人Tさんから「哲学の話をしよう!」と言われました。
どうやら年末年始に放送された「ハーバード白熱教室」に影響を受けた様子。

Tさんは日頃から私に「これを読んだほうがいいよ!」とか「これを見た方がいいよ!」と、
「司馬遼太郎」や「経済を英会話で学ぶ番組」などを勧めてくれるのですが、どれにも興味を持てませんw

大抵「興味ないから見ない」とはっきり言ってしまうのですが、Tさんはそれに納得がいかないようで、
「見ないなら説明する!」と言い、永遠と説明し始めます。
最初から説明すること前提で、というかそれが目的で言ってきてるんでしょうねw

「ハーバード白熱教室」は放送時間がすごく長いみたいで、見るだけで疲れそうです・・・。
Tさんも、まだ全部を見たわけではないそうですが、脳内が白熱しちゃったんでしょうね。

話はいきなり本題から。
「あなたは電車を運転しています。運転手はあなただけ。ブレーキが壊れて止まれなくなりました。
このまま走れば、線路上で作業している5名が死にます。これは確実に起こることです。
でも、非難線路にハンドルを切れば、そこで作業している1名が確実に死に、
本線上の5名は助かります。これも確実に起こることです。
どこかに連絡することもできないし、ハンドルを切るか切らないか以外の方法は選べません。
さあどうする?」

えーw
つまり、ハンドルを切らずに5名を殺すか、
5名を助けるためにハンドルを切って1名を殺すか、
どちらかを選択するということ。

私、仮定の話って嫌いなんですよねw 状況も背景もわからないじゃないw
詳しく事情を知らないで何人殺すか決めてって言われてもね・・・。
きっと、色んな事情を削ぐことで答えを単純化して、それを考察するためなんでしょうけど。

私がそのとき出した答えは「ハンドルは切らずに、そのまま進む」です。
まず、5名だろうが、1名だろうが命は命。 みんな同じだと思った。

本線上の5名は非難線路の1名よりは「電車が来るかも」という意識が高いだろうし、
電車の運転席から窓を開けて、「あぶねーぞーーー!!!」って叫んだり、
壊れているのはブレーキだけなんだから、クラクション(?)みたいなのを鳴らせば、
5名のうち1人でも、電車のことに気付いてお互いに声を掛け合って、
みんな助かるんじゃないだろうかと・・・。 あ、でも「5名死ぬ」ということは確実に起こるんだった^^;

これね・・・。ハンドルを切って自らの手で人を殺すことが怖すぎて、
5名を助けることができないだけなのかも・・・。
作業員じゃなくて乗客を助けるっていう選択肢ならば、
鉄道マンとしてはハンドルを切ることを選ぶかもね・・・。 なんて・・・。
仮定の話についてディスカッションすることは嫌いだと言いつつ、考え始めている・・・w

「その回答は少数派でした。 じゃあ、次ね!」

えw もう次?w 少数派だといけないのかな・・・。
でも5人のために1人を確実に殺すってどうなのよ・・・。 釈然としない私。
Tさんはどう選択したのかなどの説明がないまま話を進めるTさんw

「次は、そのブレーキの壊れた電車を橋の上から見ているのね。
電車はこのまま走ると線路上の作業員5名を殺してしまいます。
でも、あなたの隣にいる太った男を橋の上から突き落したら、電車は止まります。どうする?w」

「はぁ?w ナニソレw 突き落とさないでしょw」
まず、男性を突き落としても電車は止まらないだろうし、
そんな状況じゃなくても私は太った男を橋から突き落とせないだろうし、
つか、普通は突き落とさないよwww

「うんw じゃあ、次!w」

www なんなんだw 哲学ってwww

「あなたはお医者さんです。 移植を待っている患者さんが5名います。
1名のドナーが見つかれば助かりますが、そうでなければ5名とも死んでしまいます。
隣の部屋に健康な患者が寝ています。 その患者から臓器を取って、5名に移植する?」

「しない、しないw 無理だからw」
てかね・・・。なんで健康な患者が病院で寝てるの?w 
ドナーの署名も同意もないし、臓器が適合するかわからないから移植した結果死ぬかもしれんやんけw
つか、そんなことしたら犯罪だろwww 無理ですよw そして、その質問は変だよwww

質問が終わったらしく、まとめに入るTさん。

「あのね・・・。最初の質問では、1名を犠牲にして5名を助ける方が多数派だったの。
でも、次の質問ではそれが逆転したのね。この理由を、サンデル教授が学生に説明させるわけ!」

教授の口真似を挟みながら話すTさん。

「それでね、最後の質問に対しては一人の学生が、
『最初に亡くなった患者の臓器を、他の患者に移植します』って答えちゃって、
それは名案だが、それでは私の授業の意味がないなあって感じで終わったんだーw
ね?面白いでしょ? 見てみる?w」

えっと・・・。 
だから亡くなった本人の同意がもらえてもいないし、
臓器が適合してるかわからないから移植しても助からないかと・・・。

最後に私が出した答えは、
「いや・・・私、哲学って向いてないみたい・・・。今の話を聞いててもまったくナンセンスだって思っちゃった」

「うんw 時間を無駄にしたって顔してるねw」

言いたかった話を全部言えて満足しているTさん。
時間も無駄だったけど、わけわからん質問に真剣に答えを出そうとした労力がもったいなかったと悔やむ私。

まあしかし、言いたかったことはなんとなくわかります。Tさんのじゃなくて、その教授のw
結果的に「みんなのために1人を殺す」という同じ選択であったとしても、
その背景や立場で、人の選択はまったく逆に変わります。
つまり背景や立場が変われば、迷いもなく人は人を殺すわけです。
同じ命なのに、人が作ったルールや「こうあるべき」みたいな道徳によって、
簡単になくなる命もあるわけです。そしてそれを正しいとしている。

すごく単純化した質問なのに、これだけ考えるってことは、
これにもっと、普段の人間関係、血縁関係、その人の経歴や性格なんか入れてたら、
どんどん複雑になって、何が正しいのか間違ってるのか、わからないですよねw

いやー、なんだろw 今月はセラピー月間かなあw

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